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文豪が描いた街、
登場人物が生きた時代
書籍に息づく、かつての情景にふれてみませんか? Vol.2泉岳寺(夏目漱石「吾輩は猫である」)
飯倉片町(島崎藤村「嵐」)
狸穴町(島崎藤村「嵐」)

泉岳寺(せんがくじ)

万松山泉岳寺は、芝区車町(現在の港区高輪一丁目)にある曹洞宗の名刹です。寛永18年(1641)に外桜田から移されたもので、元禄16年(1703)2月に切腹した赤穂四十七士の菩提寺として知られています。
本堂左手の義士遺物館、主君浅野長矩の墓を囲む大石良雄以下義士の墓地は戦前の面影を残しています。

飯倉片町(いいくらかたまち)

麻布飯倉片町は、現在の六本木5丁目と麻布台3丁目の各一部に当たります。飯倉という地名は、穀物を保存する倉があったことに因み、片町は江戸時代に道の片側だけが町家だったことに由来するといわれます。大正7年(1918)、芝区西久保桜川町の下宿から飯倉片町33番地に転居した藤村は、ここで18年間過ごしました。
代表作「夜明け前」も、生涯で最も長く住んだこの地で生まれました。

狸穴町(まみあなちょう)

狸穴の名は、猯<まみ>(穴熊また狸)が住んだ穴があったことに因むという説のほか様々な説があります。明治5年に三春藩秋田安房守の中屋敷などを合併して飯倉狸穴町となりました。
藤村が住んでいた飯倉片町は狸穴町の西隣でした。 かつてはソ連大使館(現在のロシア大使館)があることでも知られていましたが、住居表示の実施により、その周辺は麻布台2丁目に変更されています。

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